大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)1577号 判決

控訴人 東明商事株式会社

右代表者代表取締役 大石靖雄

右訴訟代理人弁護士 吉井文夫

同 浅野利平

被控訴人 市川富雄

右訴訟代理人弁護士 浅見昭一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。

二  双方の主張は、次のとおり付加するほかは原判決の事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。

(一)  控訴人

1  「商品取引所法に基づいて定められた受託契約準則は、当事者間に特別の約定のない限り、当該取引所の商品市場における売買取引の委託について、委託者を、その意思のいかんにかかわらず、また、その知、不知を問わず拘束する。」との判例(最判昭和四四年二月一三日民集二三巻二号三三六頁)の趣旨は、本件契約にも妥当すべきものである。即ち、右準則は、主務大臣の認可を得ているので本件金地金注文約定書(以下、本件約定書という)とは異なるが、これが委託者に対する拘束力を持つ根拠を、主務大臣の認可の有無に求めるのではなく、右判決のいう「特別の約定のない限り準則に従う意思を有していたものと推認するのを相当とする。」ことに求めるならば、本件約定書についても、被控訴人は、「本件約定書に基づき注文する」という注文書に署名押印しているのであるから、特段の事情のない限り、本件約定書の各条項に従う意思を有していたものであり、被控訴人に対する拘束力がある。

2  本件約定書は、多数の条項から成る保険約款などとは異なり、わずか一八条項から成るものに過ぎず、また特に難解な条項がある訳でもない。しかも、控訴人は、被控訴人に対し現に本件約定書を交付し、その内容を説明し、被控訴人は、これを見て、これと一体となっている「金地金注文約定書に基づき注文する」旨の注文書に署名押印したのであるから、被控訴人が当時精神異常であったとか文書を理解する能力に欠けていたとかの特段の事由がない限り、被控訴人は本件約定書の内容を承認して本件契約をなしたものというべきである。

3  被控訴人は、約一二〇万円の保証金で当時時価八九五万八、〇〇〇円の金地金を買う旨の本件契約をなしたが、この契約の目的は、当然のことながら将来値上りすれば転売して利益を得ようとするもので商法上の投機売買であり、したがって、変動する金地金の時価が下落した場合に契約破棄の危険を担保するため追加の予約金の納入を定めた本件約定書七ないし九項は、何ら不合理な規定ではない。

(二)  被控訴人

控訴人の当審における主張を否認し、争う。

なお、控訴人の引用する判例は、投資者保護を目的とした商品取引所法に基づいた公設の商品取引所の受託契約準則に関するものであって、私設の闇市場(公正な価格形成の担保のない市場)において、しかも正規の東京金為替市場の会員でない控訴人が勝手に作成した本件約定書には、適切なものではない。

三  《証拠関係省略》

理由

一  当裁判所も、被控訴人の本訴請求は、理由があり、これを認容すべきものと判断する。そして、その理由は、次のとおり訂正、付加するほかは原判決の理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

二  原判決理由三2の終りから三行目の「被告」を「原告」と、三3(四)の三行目の「独立した会社となった。」を「独立した会社が設立されて、新会社がその営業を引継いだ。」と、五の「請求原因3の(二)の(2)の事実」を「請求原因3の(一)の(2)の事実」と、それぞれ改める。

三  《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、これに反する証拠は、ない。

1  昭和五三年当時、金地金(以下「金」という。)は商品取引所法上の指定商品ではなく、私設の金取引市場で取引されていたが、その一つであった「日本貴金属市場」と称する組織の事務局長岡本宏一の建議に基づいて、同年四月、右市場は解散し、新たに「東京金為替市場」と称する組織(任意団体)が同年五月一七日、金その他の外国為替等支払手段に関し公正な売買の場を供与することを目的とし、商号使用者岡本宏一、営業所在地東京都港区虎の門三丁目八番二一号と定めて設立された。もっとも同市場も同年一一月末には早くも理想と現実との隔たりに抗し切れず岡本の退陣により事実上解散し、その後は同市場に属した一部会員が同じ東京金為替市場の名のもとに東京都中央区京橋三丁目において金市場を開設し、岡本もこれを黙認するという有様であった。

2  東京金為替市場は、その定款に、取引関係の原則及び解釈について取引準則を定め、会員はこれを厳守して事業を営むことと規定し、これに基づき定型的な金為替取引約定書を作成していたが、右約定書は、金為替取引契約の性格に関し、予約物を反対売買又は売戻しもしくは買戻しによって行う清算取引は行うことができないこと(ただし、金の受渡しを経た後これを直ちに第三者に転売する「売戻し」はできる。)、売買予約金は取引に伴なう一般的危険を担保するもので、相場変動に伴なう危険を担保するものではなく、その金額は常に一定で受注者はいずれの事態にもこれを追徴しないことと定めていた。

3  しかるに、控訴人は、東京金為替市場の正会員ではなく、同市場からその形成した金価格を利用して取引することを事実上認められていたにすぎないのに、その正会員であるとの肩書を使用し、右金為替取引約定書のような契約書を使用せず、かつて三友商事株式会社新宿支店が日本貴金属市場の会員であった当時から使用していたものと同一内容の約定書を、控訴人が同支店の営業を引継いだ後も使用していた。

4  ところで内閣法制局は、昭和五五年四月二二日商品取引所法八条一項の規定は同法二条二項にいう商品以外の物品の先物取引をする市場の開設を禁止していないとの見解を示し、これを禁止しているとの昭和二六年二月七日付の法務府法制意見第一局長見解を変更したが、本件契約当時は、後者の見解に従い業界一般に金の先物取引をする市場の開設は禁止されていると解されていた(後に昭和五六年九月政令第二八二号で金が商品取引所法二条二項の商品に指定され、金については問題が解消した。)。

四  控訴人は、本件約定書第八(いわゆる追証金の徴収)および第九項(追証金不納の場合の金処分による清算)は、被控訴人の知、不知にかかわらず被控訴人を拘束する、ないしは被控訴人がその内容を知りこれに従う意思を有していたものと認めるべきであると主張するので、既に引用して説示したところに併せて更に検討する。

1  《証拠省略》中、本件契約締結の担当者久馬靖雄が被控訴人に対し本件約定書の内容、就中第八および第九項を説明したとの趣旨に解される部分は、《証拠省略》に照らして措信し難く、かえって、東京金為替市場の正会員を標榜しながら同市場が排斥した筈の第八および第九項を盛り込んでいた控訴人が、本件契約に際し、被控訴人に対し殊更懇切丁寧に説明したとは、到底窺えない。

2  次に、被控訴人は本件約定書と同一紙面で一体となった注文書に署名捺印しているものであるから、以下本件契約の拘束性ないし被控訴人がこれに従う意思を有していたかについて本件契約の趣旨およびその個別的実情の点から更に検討する。

(1)  本件約定書第八および第九項のような追証金の徴収およびその不納の場合の清算を定めた規定は、商品取引所法や証券取引法に基づく取引所の受託契約準則に見られるところであるが、これらの準則は、普通契約約款として委託者の知、不知にかかわらず委託者に対して拘束力を有するものと解されているところ、これらの準則が右のような規定を定めている所以は、商品取引における先物取引の場合又は現物取引が原則である証券取引における証券会社と委託者間の信用取引等の場合に、委託者が反対売買をして売買の清算又は信用取引等を解消するまでの間に、委託証拠金又は委託保証金と共に実質上担保となっている目的商品又は証券の時価が相場の変動により下落して担保価値が減少したときに、これに対応する増担保により受託者の委託者に対する債権を確保させる必要があるとしたからであって、これらは、受託者が委託者から委託に際して一定の委託証拠金又は委託保証金を徴収することの延長として、委託者の過当投機を抑制し、受託者の債権担保を確保し、もって委託者を保護すると共に取引の公正確保を期しているものであって、これらの各取引所と受託契約準則は監督官庁の厳重な監督下にある。

(2)  しかるに、前記認定のとおり、本件契約当時、金取引市場なるものは私設のものであって、組織体制が未確立であるうえ、金取引契約の性格および契約条項もまちまちで定型化していないいわば野放しの状態にあり、既に引用して説示したとおり、金取引の実情は、永年にわたり行われて来た指定商品や証券の取引所における取引と異って、世間一般に周知されていたものとは到底言えない状況にあった。

(3)  しかも、《証拠省略》によると、本件契約は本来、金のいわゆる延取引であって、買付金の金額から取引手数料および予約金を差引いた残額の支払と金との引渡しとを約定受渡日まで延期しているに過ぎないもので、買主たる被控訴人としては、受渡日前にその意思によらず反対売買をされ、これにより清算することは全く予定しておらず、せいぜい東京金為替市場作成の金為替取引契約にいう受渡日における「売戻し」が考えられるにすぎないことが認められる。

右事実によれば、本件約定書第八および第九項は、商品取引所法あるいは証券取引法に基づく受託契約準則の規定と類似するように見えるが、前示金取引の実情からすれば、その解釈、適用について取引界のコンセンサスがあるわけではなく、趣旨も明確とはいえないのであって、右各準則の規定を借物のようにそのまゝ引き写した本件約定書の第八および第九項は、金について商品取引や証券取引と同様の取引をする意図のなかった被控訴人としては全く予想だにしていなかったものというべきである。

3  以上の事情および既に引用した認定事実(就中、追証金の支払請求をされた後の被控訴人の行動)のもとにおいては、既に引用して説示したとおり本件約定書第八および第九項にいわゆる普通契約約款類似の効力を認めることは到底できない。もとより、被控訴人が右各条項を知り、これに従う意思を有し、その旨の契約が成立したものとは認めることもできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

四  してみると、右と同旨の原判決は相当であって、本件控訴は、理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小堀勇 裁判官 吉野衛 山﨑健二)

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